第9夜
アイデンティティとは他者と共有するところに存在するものなので、自分の内側を探したところで見つからない。そもそも道に迷って右往左往している自分の内に、明快な答えが用意されているはずがない。
探すべきものは、「自分と何かを共有する他者はどこにいるだろう?」なのである。
──齋藤孝さんが『折れない心の作り方』のなかで
齋藤孝さんが自分探しをする若者について一言。「本当の自分とは何なのだろう?」と自分の内側を見つめていこうとするのは問いの立て方が間違っている。齋藤さんは人生の進路に迷ったとき、書物に向かったそうだ。この感覚は自分にもわかるぞ、理解できるぞ、というものを読み漁る。著者と共感するたび、自分を確かなものと感じることができる。
自分とはどういうものかを知るための近道は、自分と共有できるものを持つ人がいることに気づくこと。そういう他者の発見をしていくところにある。ここにもいる、あそこにもいる、と複数のかたちで発見できる人は、アイデンティティの根を広げていける。
第8夜
ある人の話を聴いているうちに、ずっと忘れていた昔のできごとをふと思い出したり、しばらく音信のなかった人に手紙を書きたくなったり、凝った料理が作りたくなったり、家の掃除がしたくなったり、たまっていたアイロンがけをしたくなったりしたら、それは知性が活性化したことの具体的な徴候である。私はそう考えている。
内田樹さんは、知性というのは個人に属するものというより、集団的な現象だと言います。人間は集団として情報を採り入れ、その重要度を衡量し、その意味するところについて仮説を立て、それにどう対処すべきかについての合意形成を行います。その力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力の全体が「知性」だと。
第6夜
職業を決めるとき、「自分の指向からだけで出発しない」は一つの発想のポイントになる。自分がなりたい、やりたいと考えているものだけではなく、自分のいままでの人生がどう活きてくるか、これだったらいままでインプットしてきたものを全部つなげていけるんじゃないか、という視点から考えてみる。
── 齋藤孝さんが『折れない心の作り方』のなかで
黒澤明は、早くから映画をつくりたいと思っていたわけではなかった。当時は画家になりたいと思っていたのだが、自分に画家として才能があるのかと気持ちがざわめいた。ふと新聞を読んでいたら、映画撮影所の助監督募集の広告が目に飛び込んだのがきっかけだそう。
映画監督になろうと思って、小さいころからたくさん映画を観て、映画学校に入って、夢の実現に向かっていくのもたしかに一つの道だ。しかし、誰でもなろうとしてなれるものではない。
自分自身の力があれば何にでもなれるわけではなく、さまざまな外的条件、タイミング、縁といったものが働き合って、道は拓かれていく。自分の思いだけ強ければ成功するわけではない。